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ニューウェーブ北九州を彩った男たち<2>
FW植木亨
北九州の得点源/
第1回から随分、間が空いてしまったが、まあとにかく第2回です。
第2回はFW植木亨。2002年にMF大塚隆二、MF山本洋平とともにアルエット熊本(現ロアッソ熊本)より加入。名門福岡大出身のストライカーで、引退する2005年まで、ゴールを量産して北九州の勝利に貢献してきた。
4位浮上に貢献
どれほど頼れるストライカーであったかは、記録を見れば一目瞭然。
2002 3得点
2003 25得点
2004 6得点
2005 12得点
※参考:kitakyu11.com
03年の25点が燦然と輝く。北九州はこの年、過去最高(当時)の4位の成績を残した。
残念だったのが翌04年。大黒柱として大いに期待されたのだが、開幕前に顔面骨折の大けがを負ってしまう。開幕に間に合わず、ほおにチタンプレートが入ったまま、シーズン途中からチームに合流。それなのに、試合中のけが(確か、膝の靭帯を痛めたんじゃなかったかな)で再び戦列を離れる不運なシーズンだった。6得点に終わったが、もしこの年、植木も含め、万全のチーム状態だったなら、もう少し早くJFLが見えていたかもしれない。
永遠の背番号9
正攻法でゴールを狙うかと思えば、トリッキーな動きも得意で、相手DFを翻弄。もちろん球際にも強く、ダイレクトでも巧みに合わせるし、混戦になれば目の前にあるボールはとにかくどんな形でも押し込んでくれた。FW井手田文和とのコンビや、MF大塚とのホットラインは九州リーグ屈指だった。
最後のシーズンも12得点。池元(現・横浜FC)らとのコンビで活躍した。今でも私の心の中で、ニューウェーブ北九州の9番といえば、この男だ。
GK西岡克浩
初期北九州の守護神/積極守備で窮地救う
北九州のJ参入が現実として見えてきた今、過去にこのチームを彩った男たちについても触れておかねばなるまい。彼らがいたからこそ今があるわけで、それは、パラライン氏や団長ら(←この「ら」の部分も大事です)がいるからこそ今がある、北九州サポと同じです。なお、筆者は2003年終盤からしかゲームを見ていないため、その年代の選手が中心になります。
名門新日鉄所属
第1回はGK西岡克浩。北九州が日本に誇る企業チームの超名門・新日鉄八幡にいたが、鉄冷えの影響もあって廃部となったことに伴い、ニューウェーブ北九州の前身三菱化学黒崎へ移籍。そのまま新チームへと移行した。
という経歴から、新日鉄に勤めるサラリーマンでもあったが、見事に仕事と両立。守護神として初期の北九州のゴールを守り続けた。身長は170cm半ばと決して高くなく、むしろGKとしては低い方だが、持ち前の積極的な守備で何度もピンチを救った。ペナルティエリア外までどんどん出てクリアしていたし、ゴール前に上がった微妙な位置のボールにもためらうことなく飛び出す。一瞬の迷いが命取りになるだけに、その思い切りの良さで何度助けられたことか。長身のGKも何人も加入してきたが、毎年レギュラーの座を確保。信頼度はやっぱり西岡だった。公式HPによれば2005年で退団のようだ。
確か気胸で療養したことがあった。気胸になるぐらいだから、それだけ節制した生活をしていたのだろう。
隠れた快記録?
公式記録がないのでよく分からないし、そんな集計をリーグもしていないだろうから比較のしようもないが、通算出場時間はかなりのものになると思われる。ヴォルカ鹿児島の西(2007年限りで引退)のゴール数もすごいが、隠れた快記録かもしれない。
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2009戦績・予定
2009順位変遷(前期)
2009順位変遷(後期)
2009得点
2009警告
2009CL日程
2009天皇杯日程
<2008>
2008戦績
2008得点
2008警告
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